
遺伝子の改造によって生まれた「金色のバラ」。あいちゃんたちは、とらわれたバラとネコたちを助け出せるのか!
ぼくは、サントリーの「青いバラ」「青いユリ」の遺伝子操作による人為的な製作に反対する。それは人類の未来に、いったいどんな「価値」をもたらすというのか。経済原理に自然を従わせるなど、もうあってはならない発想だ。人間は、自然よりも位が高いとでも、サントリー首脳部は言うつもりなのか。あまりにも愚かだ。
「民衆」とは何か。ヒトが誕生し、やがて「古代民衆」が立ち現れてくる姿を、ヨーロッパ文明と日本文明の淵源とともに解き明かす
社会学的に「顔を持たない群れ」として規定される「大衆」に対して、本論では「個」の顔を持つ「民衆」を提示し、その姿を明らかにする。本書は、ヒトがどのように誕生し、やがて古代民衆となっていく過程について論考する。また「ヨーロッパ文明」と、中国文明とは異なる「日本文明」の誕生にも言及し、それらの文明誕生の過程で、両文明がまったく異なった諸相を持って発展していったことを証明する。今日、この東西の両文明圏について語ることは、現在の「世界文明」を解き明かす意味で、きわめて重要なことといわねばならない。とりわけ「日本人」として日本列島に生きる者にとって、「我々の文明」を知ることは、私たちが「世界市民」として生きていく上においても、そのよって立つ大地を知ることになることなのだ。
劇団ミュージカルシテイ・珠玉の歌集
1980年代を中心に、関西を舞台に活躍した劇団ミュージカルシテイ(大阪ミュージカルシテイ)によって歌われた歌の数々。ただし「ぼくのために、泣け。」は未上演のまま。その歌詞は、多くの人々の心を打った。
「不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説」の原作書、ついに登場!
ソニー・マガジンズから出版された『不滅のヒーロー 仮面ライダー伝説』は、再版を望む声が多いにもかかわらず、絶版のままだ。本書は、その既刊書『仮面ライダー伝説』の原本となったものであり、ジャーナリストの視点で描かれた、幾多の苦難をあふれる情熱で越えて、仮面ライダーを創造してきた男たちのドラマが凝縮している。仮面ライダーを演じた男たちの「その後」にも焦点を当て、彼らの人間としての成長の軌跡も描いた。既刊書にはない項目もある。ライダーファンならずとも、ぜひ読んでほしい一書である。
勝利に至った、約三〇年間に及ぶ「細川内ダム建設反対闘争」の歴史
この物語は、かつて「阿波のチベット」と呼ばれた、四国・徳島県木頭村(現在は、那珂町に編入されている)の人々の、約三〇年間に及ぶ「細川内ダム建設反対闘争」の歴史をまとめたものである。ここでは、木頭村の人々がなぜダム反対に立ち上がったか、そしてそれが県や建設省の妨害・圧力・切り崩しをはねのけて、どのように勝利に至る道を切り開いていったのか。その苦闘を、日本の政治経済の変遷や諸政策の転換などと織り交ぜながら、またダムそのものの問題点や、自然環境の問題などとも関連させながら語ることにした。本書は、平成九年から一〇年にかけて取材し、まとめられたものである。だが、それでもこのドキュメンタリーの光が弱まったわけではない。
2009年ブログ「KOBE Diary」より。ぼくは生きることが歓びだと感じるようになった。
2008年2月からはじめたブログ「KOBE Diary」は、1年間で40000件近いアクセス数を記録するようになっていた。これは、ぼくの心の軌跡であり、ぼくの「未来」に向けた成長の記録だ。友と語り、涙し笑いあい、ぼくは、人は誰もが絶望を振り払い、希望を創出できることを知り、愛することの歓びを知るようになっていった。
大好きって、どういうことだろう? 「きみ」をさがす旅は、「ぼく」をみつめる旅だった。
夏の暑い日に、ぼくは大好きななっちゃんをさがす旅に出た。ぼくは、なっちゃんに出会えるんだろうか? 出会えたところで、なっちゃんは、ぼくに何て言うんだろうか? 大切な人を想うあなたに贈る、大切なおはなし。
2008年。過去に囚われていたぼくは、「上を向いて生きる」ことから再びはじまった
2008年2月よりはじめたブログ「KOBE Diary」は、今も断続的に続けている。それは「詩」であったりなかったりするが、総じて「詩的」なものだ。哀しみや苦しみからぼくは、こうして「希望」を紡ぎだしていった。
ワードライツさんううん。詩人でもあるkatohfuに褒められるなんて、最高ですね! ありがとうございます。
word waves < katohfu >さん民衆論などの論ずる視点も良いけれど、詩はもうひとつ良いね!
経済原理に支配されたマスメディア、とりわけ新聞が「第四の権力」ではないことを、歴史的事実に即してに検証する。
日本に新聞が誕生してから、一貫してマスメディアは民衆や市民の側に立つことはなかった、といえる。しかも、「第四の権力」という訳語じたいが誤訳であることを、誰も問題にしない。本稿では、メディアの歴史に言及し、さらに、日本のマスメディア、とりわけ新聞が、「第四の権力」でさえなかったことを、日本の新聞史によって検証していく。
「無貨幣社会」は、ほんとうに不可能なのか? これは「それは可能だ」とするための思考実験である。
不可能に思われ、ついに誰も取り組もうとさえしなかった、未来における「無貨幣社会」の建設。筆者は、この貨幣社会のかなたに、その進歩系として「無貨幣社会」の創造が可能かを考えた。本論はまだ思考実験であり、本格的な論理の展開ではない。だが、ここにこそ、筆者の最初の一歩があったのである。
すべての建築とは有機体である。人間が生きているなら、建築もまた生きているのだ。
「建築」の歴史を振り返るとき、すべての建築物は有機的に変貌を遂げてきたことが分かる。本論は、その事実を明かし、新しい建築の未来を探る一助となることを願っている。
2011年、今こそ哲学が求められている。
この21世紀の地球文明は大きな内部矛盾を露呈し、年頭からは中東で大規模な民衆反乱が燎原の火のように広がり、それは今も続いている。
そうして3月11日には、あの東日本大震災による大津波、原子力災害が発生した。
ユーラシア大陸のこの東西の端で起こった出来事は、私に「文明とは何か」「民衆とは何か」を、改めて考える機会を与えた。いや、この文明の危機を人類はいかに乗り越えなければならないかを、必死で模索する新しい出発点となった。
この「哲学ノート」は、日々学んでは考え続ける「現在」の私の軌跡だ。今こそ、哲学は力を持たなければいけない。私は、渾身の心を込めて皆様にそう訴えておきたい。
愛することは哀しい。愛することは美しい。愛することは喜びで、いつも失った後にその大切さに気づくのはどういうわけだろう。
本作品は、1990年代後半に書かれたものを集めた。たくさんの出会いがあり、ぼくは恋を体験した。それはときに情熱的であったり、ときに穏やかであったり、そして終わった後には、いつもぼくは成長していたように思う。これは、そんなまだ若い日々の軌跡だ。
劇場とは何か? <場>を中心に、劇場と舞台人・観客の役割を見定め、舞台人の資質についても言及する。
現代評論。長く舞台に接してきた著者が、劇場の本来の姿と蘇生を促し、未来を拓く舞台のあり方を問う。劇場の歴史と、それぞれの劇場形式が、どのような作用を観客に促すのかにも言及している。本稿は、最終章で「舞台人」に必要とされる資質を加筆し、2010年10月26日に再改稿した。